過防備都市 五十嵐太郎 中公新書ラクレ(ISBN:4121501403)

盲目的な「セキュリティ」の大合唱が、さらに不安を掻き立て、高度なセキュリティへの要望を人々の心に植え付ける。根本的には、そのことに対する疑いがこの本である。それはわかるのだが、内容はほとんどが現在の事例の羅列。例えばこんな感じで…。

第一章では、「情報管理社会」という視点から、街中にある監視カメラや標識などの実例の紹介。それから、ドゥルーズのスキャニングによる対象の選別でアクセシビリティが決定されるというような理論の紹介(知っている人にとっては、「シングルサインオン」とだけ言えば伝わると思うけど)。
第二章では、自治体レベル、市民レベルでのセキュリティ強化を図る、条例制定や自警団などの活動の紹介。
第三章では、池田小学校の事件などを受けた、学校でのセキュリティ強化の取り組み、その中での「開いた学校」「閉じた学校」というのジレンマに関わる議論の紹介。
第四章では、住宅の中にひとつの付加価値として標榜されるセキュリティの現在の紹介。
第五章では、オウム真理教やスペイン・マドリードのテロなどを引き合いに出して、都市でもテロリズムは起こり得るとして防衛を強化していく各都市の動向紹介。

…それがそれで、ひとつの本の書き方というのならそれでも良い。確かに読み手に対する問いかけもある。ただ、「それは違うんじゃないか」「それではこうなってしまうのではないか」という主張だけでは弱いと思う。現状はわかったとしても、ではどうすれば良いのかを明らかにしていないのだ。
一番最後の方に、「問われるべきは社会構造」として、恐る恐る根本のところを突こうとする。でもそこで書いているのも、他人の引用。だからそれはわかったって。
そこが、この著者の限界で、そのうち消えていくんだろーなーと思わずにはいられない。